教材としての新聞

宮崎県NIE推進協議会会長
経済ジャーナリスト 浜野 崇好

浜野崇好会長

浜野崇好会長

「教育に新聞を」という私たちのNIE活動は、あらためて言うまでもなく、新聞・通信の各社が資金を出して、学校教育用に新聞を配布し、それを教材として学習指導を実践することが基本になっている。本県では、2008年度は前年度より1校増えて、小中高の8校で実践教育が行われた。これら実践校の報告には、毎年、「生徒の表現力が高まった」「新聞を通じて、生徒が社会事象に関心をもつようになった」等、何らかの教育的な成果があったことが指摘されている。問題は、こうしたNIEの活動が実践校以外になかなか浸透せず、むしろ活字離れが目立つことである。

その背景には、メディアの多様化などさまざまな理由が考えられようが、ここでは、新聞が教材という極めて大事な役割を担っているのはなぜなのか、3つの視点から考えてみたい。

第1に新聞は、義務教育を終えた人が理解できるくらいの分かりやすい文章で伝えていることである。日本語の文章というのは、当用漢字と新仮名遣いで書くと言っても、実にさまざまな書き方が出来る。その点、新聞は各紙によって、多少の違いはあっても、ほぼ標準的な書き方で統一されている。例えば、「こと」という言葉は、「考え事」とか「約束事」といった主に具体的な事柄を表す場合、あるいは、「見事」のような熟語になっているものは漢字で書き、「このことは」「みたこともない」のようなどちらかと言うと抽象的な内容を表すときは、平仮名で表すルールになっている。この書き方をある程度覚えれば、新聞のような読みやすい文章が書けるという訳である。

もっとも、記事を書くというのは、それでもなお難しい点があり、私自身、新聞の出身ではないので、しばしば漢字の使い方を迷い、この文章も「記者ハンドブック」片手に書いている。

第2に新聞は、あらゆる分野の社会事象で、関心度や重要度の高いものを網羅し、教科書や参考書にも出ていない最新の出来事を速報している。最近の世界的な金融経済危機は、世界同時不況で、同時株安というまさに「100年に1度」の大きな出来事である。その大きなきっかけとなったのは、2008年9月米国の大手投資銀行「リーマンブラザーズ」が政府から救済して貰えず、自主再建を断念して経営破たんし、いわゆる「リーマンショック」を引き起こしたことである。この一連の動きは、日本でも「年越し派遣村」に象徴されるような雇用不安、石油など物価の乱高下などをもたらし、私たちの日常生活に深く関わっているのに、分かりやすく書かれた書物や参考書で学ぶのは難しく、新聞などニュース・メディアの報道で情報を得て、自ら行方を探るほかに方法はなかった。投資銀行という日本にはない巨大金融機関が巨額の資金を投機的な手法で動かしていたのが、思惑通りにいかなくなったということのようであるが、なぜそんなリスクの高い仕組みがまかり通っていたのかなど、納得のいかない点はあるとしても、連日の新聞等の報道で「およその見当はつく」程度の理解は得られたという人が多いのではないか。

3つの視点の最後は、最も大事な信頼性である。最近、1部の週刊誌や民放テレビ番組で、信頼性を問われる誤報事件があったが、新聞にはそういう重大な誤報を疑われるようなことがほとんどない。その信頼性が教材としての新聞の大事な資格要件の1つになっているのだと思う。